「痛車で例大祭にいけたらいいなぁ」 まさかまさかの例大祭サークル参加。出来たらいいなが形になった歴史的3日間! ……とは言ったけど、道中は写真撮影をほとんどしていないので、あまり書くことがない。 ともあれ、Hullさんと矢木の二人を連れ、鳥取から国道9号で京都へ。 | 滋賀県は琵琶湖大橋西側たもとにある大観覧車。 昔はびわ湖タワーという遊園地だったのだが、今はもうない。 跡地はショッピングセンターっぽい何かになっていたが、このバカでかい 観覧車は取り壊すのも面倒だったらしく、そのまま残っている。 確かこの観覧車の名前はイーゴス108だったと思う。 |
琵琶湖大橋より遥か東方の有明を想い、望む。 正直、ここから関ヶ原ICまで二時間以上かかるとは思わなんだ。 | |
時間は流れ18時40分の諏訪湖SA。 17時半ごろにトイレ休憩で寄った阿智PAで、名古屋であったイベントの帰りという らきすた痛車と 出くわした。まさかPA内で遭遇するとは…… | |
今回、東名でなく中央自動車道を使ったのにはわけがありました。 それがこのトンネル。笹子トンネル。 話によるとこのトンネルを時速120キロで走ると「えーりんえーりん」と いうふうに聞こえるらしいので「これはぜひ通りたい!」ということでいざ! しかし実際走ってみると「え? 何か聞こえる?」という感じで、結局
分からずじまい。 | |
かの有名な刑事ドラマの劇場版第二段で副題にもなっていたレインボーブリッジ。 どの辺がレインボーなのか甚だ疑問。映画では、ブリッジ上での撮影は京都の自動車道 を使用していたらしい。 ところで今回、初めて首都高速を走ったのですが、繰り返すカーブと狭い土地ならでは の複雑怪奇な合流・分岐のオンパレードにかなり興奮した。 しかも周りの車がみんな80キロ前後で走るものだから、走って楽しい、抜いて快感の 連続。夜の街灯りとかもムードがあって非常におもしろかった。 あそこを暴走するルーレット族の気分が少しわかった気がする。 |
まあそんなこんなでビックサイトに着いたのが22時ごろ。
ビックサイトから宿泊するホテルまでの道順を覚えるために首都高でお台場まで
行ったのですが、会場周辺にはすでに何人か徹夜組がいた。
やってもペナルティを科せられるだけだというのにどうして徹夜なんてするんだろう?
それにパンフレットに徹夜禁止と書いてあるのに……。
ファンならちゃんとルールは守ろうぜ?
まぁ誰よりも早く手に入れたいという気持ちは分かるけど、
そこは東方を愛する人間として、守るべきところだと思う。
あとサークルチケットがヤフオクに出ていたというから呆れた。
何ヤッテンノバカジャネーノ? という言葉以外にもう何も出てこない
晩御飯は双葉SA内の食堂で。 最近の食券販売システムはすごいですね。 ちなみに私が食べたのは唐揚げ丼だったのですが、結構おいしくて、しかも 値段の割に量もあったので満足。また食べたいな。 | |
無事、例大祭も終わり、その日のうちに帰路についた。 写真は諏訪湖SAのお土産コーナーで売っていたもの。 チーズが好きな私にとって、このワサビの色合いが非常にそそられた。 実はこのチーズ、往きの上り方面のSAで見つけたもので、その時は例大祭前ということ
もあり、購入を保留にしておいたのだが、下りSAのお土産コーナーには置いてなかった。 気になるお味の方はまぁまぁ。可もなく不可もなくといったところ。 ワサビ繊維の歯ごたえが新鮮だった。 | |
同じく上り方面のSAにある食堂で撮った一枚。 平仮名で書かれると、もはやケロちゃん! あーうー |
日付変わって午前1時40分に恵那峡SAに入る。
後部座席のHullさんと矢木さんは爆睡していたし、
私自信も眠かったので一同、狭い車内で就寝することに。
起きたのが朝の6時前。6時2分に恵那峡SAを出て、
尾張一宮で矢木と運転を交代。
「養老SAで運転を代わるよ」
と言い残して私は後部座席に移ったのですが、
尾張一宮から養老までは、たった29キロほどしかなく、すぐに運転交代。
京都で昼飯を食べ、石斑沢の実家に到着。
家に帰るまでが例大祭。ここで一人、例大祭を終えた仲間と別れる。
徐々に近づく祭の終焉に寂しさを覚えつつ、一同鳥取へ。
19時、ついに鳥取に到着。そのまま打ち上げと称して晩餐を開始。
私の家に着いたのが22時15分。
総走行距離は1614.3キロ。移動時間は約22時間。
本当にあっという間の、それでも忘れることのできない3日間でした。
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